なんやワイの鼻先…下がってない……?
いや別にアップノーズやったわけではないけど…もっと鼻先ぷりっとしてた気がしてた………ていうかぷりっとした鼻先が好き…
わかりやすいようにノーマルカメラの自撮りだけ集めてみたけど(しに子ちゃんの顔の左右はピアスで判別できるよ)、なんか自分の化粧に自分で化かされてた感あるかも。何枚遡っても鼻先低かった。
あと一枚目は耳写ってないんですけど、こめかみに青いあざ(消えないやつ)(生まれつきではないけど)があるから左側が写ってるなってわかります。よくみたら四枚ともこめかみにあざあるよ。青っぽいグレーっぽいの。
別にさ〜、自分の顔を世界一大好きでなにを取っても可愛くてしょうがない人っていうのはいないと思うんだよ、それはね。でもさ〜、わたし違うじゃん、わたし自分の顔ぜんぶやだなんだよね。
「『自分の顔ぜんぶやだ』とかいう人間はそもそも自撮りもノーマルカメラチャレンジもしねえよ」のご意見は一回封印してくれる?途中で印を解いて飛び出さないように厳重にね。
あのね、21年間の「自分の顔ぜんぶやだ」の気持ちを込めたこの化粧なの。自分の顔ぜんぶやだじゃなくするための化粧だから、わたしだってメイクアップ後は自撮りくらいする。なんならわたしくらいぼっち極めると、友達がいなさすぎて画像欄に自撮りか犬か推しかタピオカしかない。あとはLIPS用の目とか口とかのパーツ写真しかない。ワロタ。
わろてるわけないやろしばき回すぞ。物心ついたときには自分の顔が不満だった。骨格も肉付きも配置もバランスもなんか嫌だった。小学生の頃だよ、それからずっとぜんぶやだ。
そんでなんかわたしこれ誤解されがちなんですけど、わたし化粧がまあ社会一般的には十二分に濃いけど、もっと濃い人だっているわけじゃないですか。そうするとわたしのメイクは「素の素材が良くないとできない」系だと思われることがたまにあるんですよ。
違うわ!よく聞け!こうやって並べ!
間違えた。よく聞いて。世界人類七十億のうちの半分くらいはこのメイクしたら誰でもこれくらいの顔になります。これマジ。顔立ちはそれぞれ変わりますけど、顔面偏差値は差異ないところまで持っていける、ほんとに。
あのね、その辺のYouTuberが底辺ドブスとか足の裏とか自称してるやつの方がよっぽどわたしのすっぴんより美人だからね。あれが底辺だとしたらわたしは地下に潜ってないといけないからさ、地面叩き割って地の底で喘いでないといけなくなるわけよ。
すっぴんブス自称するYouTuberの動画見れないもん、うるせえなって思う。おめえらみてえなのがすっぴんブスのハードル上げてんだよ。真のすっぴんブスに謝れ。
話逸れた。わたしお金がないからまだできないんだけど(浪費癖治せ)、とっととお金貯めて顔面お直しに出す予定なの。すっぴんのあなたで勝負できるようになりてえの。しに子ちゃん諦めない。ぜんぶ受け入れて生きていたかった。
二重幅の左右差に一喜一憂したり、鼻筋の太さに目眩を覚えたり、歯並びも口ゴボも頬骨もこめかみも顎も眉もおでこもぜんぶ。受け入れられていたらきっと楽だった。わたしはビジュアルに偏執しているだけだ。
あと耳の形も嫌いなのでピアスを外すと吐き気を催します!オエッとくる。なんか耳の形が不満になってきたらまたピアス開けちゃう。ピアスの反射で視覚を誤魔化したいんだと思う。
まあ骨格がクソだから一を百への天下巻き返しは不可能なのはわかってるんだけど、足掻きたいものは足掻きたい。それにわたし人より可愛くなりたいんじゃない、人並みに可愛くなりたいだけなの。
ぜんぶわたしが悪いんやけどさ。受け入れられないのは天罰みたいなものかもしれない。左右で大きさが違って、飛び出してて、離れてて、外斜視の目も、大きさの差と蒙古襞と傷痕の兼ね合いでどうやっても左右対象にならない二重も、十年剃って抜き続けてもしつこく変な位置に鎮座し続ける太くて濃い三角眉も、低い鼻の骨も、潰れて太い団子鼻の鼻先も、飛び出した口ゴボ、長い人中、分厚くてめくれたような唇、不機嫌そうに下がったままの口角も、ガタガタした歯並びも、斜めと横向きに強く張り出した頬骨とそれに従って窪んだこめかみも、広すぎる顔面の余白も、足りない顎の骨も、あともうすべて、すべてのわたしの外殻を、そのまんま受け入れられないのが天罰かもしれない。人の子は皆罪人なので。母を苦しめて生まれてきた罪があるので。
抗えないなにかに強制されてると思わないと耐えられないくらいぜんぶやだだったわけなんですよね、ずっと。可哀想だ、高校生までのわたし。似合わない紺色の服を着せられて、体格に合わないスカートや靴下を履かされて、脚に合わないスニーカーやローファーに足を詰め込まされて、顔色が緑になっちゃうのに黒髪でいることを強制されて、ほんの少しの化粧すら禁止されて、自分を醜い醜いと思いながら生きていることから逃れられなかった。
口をへの字にへし曲げて、俯いて、背中を丸めて、不機嫌に生きていた。そうしてる間にどんどん醜くなっていった。ああ可哀想、わたしは悪くないのに、罪の子だから。女の子達は強すぎ、男の子達は意地悪だった、人生は上々ではなかった。学校はビジュアルを縛るのに、学校生活はルッキズムに縛られていた。
わたしが過去の自分を可哀想、可哀想と言うのは、他人事だからだ。今の自分を過去から乖離していないと、いまだに喉の奥に錠剤が山盛り張り付いたときみたいに苦しくなる。過去を他人事にして、知らない人の知らない苦悩にしたいからだ。そっちの方が苦しくないから。
汚い耳だなとよく思う。常にかぶれてて、赤紫で、どっかに肉芽があって、バランスも悪いし、センスも悪いからダサいし、エキスパンダーは垢が溜まって臭いし、人をやたらに威嚇して強がってるみたいだし。
わたしは周囲を牽制しなければいけないから、こんな耳にしてるのかもしれない。顔の横の毛を耳にかけるのはピアスを開けるようになる前からの習慣なのでちょっと違うかもしれないけど、なんかそれも一部かもしれない。
だって普通の常識とか経験を身につけてある人間なら、こんな感じにピアスを開けてる人間は大概ヤバい人間だと判断するから、不用意に攻撃することは避ける。わたしだったら耳の軟骨に直径5mmの大穴が空いてる女とは目を合わせるのも避ける。ちなみにわたしは低脳で鈍臭いポンコツ人間だけど、ヤバいタイプの人間ではないと自分では思っている。
攻撃されないように、ヤバい人間だと思われるようにする。ヤバい人間だと思われるように、ピアスをたくさん開けてつけておくのかもしれない。わかんない、自我かもしれないし、超自我かもしれない。わたし生まれつき耳フェチだし。
受け入れたくないわけじゃないの、わたしだってどうかわたしを、そのまま認めたかったの。女の子達の嘲笑やクラシフィケーションが、男の子達の否定やあるいは選別が、わたしをそうできなくさせただろうと思うの。しらんけど。
もしわたしが佐々木希だったら、橋本環奈だったら、けいちゃんだったら、のっくんだったら、ゆじだったら、見た目がそっくりそのままぜんぶあれだったら、死ぬほど、死ぬほど、死ぬほど幸せに生きていられるのにと思う。佐々木希に橋本環奈に悩みがないって言ってるわけじゃない、人には人の悩みがあって、そこにはそれぞれ地獄がある。それでも思う。幸せだっただろうなって(反実仮想)。
原因も結果も結局わたしに帰着するから、わたし以外が悪いわけではなくなるんやけど、それでも過去のわたしを外から湾曲させた女の子達と男の子達を恨む。憎いと思う。青年期も壮年期も老年期も憎い。わたしが憎んでいるのは大きくはルッキズムだろうけど、具現は先端だ。ああ可哀想で堪らない、可哀想だ、可哀想。
バイト先の女の子のくだらねえクソつまんねえ面白くない話みたいに、過去のわたしをけろっと忘れられる外部のディスクに移して本体からは削除しておきたいと思う。そのために何度もこうやって文字にして、おんなじようなことばっかり、いろんなとこに吐き出しているのだと思う。どうでもいい誰かの話にして、いつまでもわたしを苦しめないで、いつまでもわたしに憎ませないでほしい。助けてほしい。
こっちを見ないで、わたしを否定しないで、わたしを攻撃しないでほしいし、それが目的なら近づいてこないでほしい。誰にもこっちを見ないでほしいけど、誰かに愛されたいから苦しい。批判はされたくないけど評価はされたい。不必要になったとき切られるのは恐ろしいけど、必要だとは思われたい。
高校生のとき笑った「リムるんやったらフォローせんといて」の気持ちかもしれない。けどフォローはされたいもんね。自分を愛せなきゃ人も愛せないって放課後ティータイムも言ってた。自分で自分を愛せない奴は他人に愛してもらえないとかも巷でよく言われてる。自己肯定ができてないうちは、他人に肯定されても効果がないから。
外殻ちゃんがバリバリと崩れる感覚に陥ることがある。外殻ちゃんがいなくなったら、わたしは親指の爪より小さい本体だけになって、薄ピンク色のぶよぶよした、粘膜みたいな風船の、破れてペソっとなったやつの中で、悲鳴みたいなため息を吐きながら、外殻ちゃんと過去のわたしを、可哀想だ可哀想だって外部化するのに勤しんでいるような気がする。
しに子さんの何も知らないようなやつが 何か言うのもおかしいですが、 わたしがLipsを見るようになって 1番に好きになったのは しに子さんです。文章が好きです。 お顔が好きです。素敵です。 きれいな丸いおでこも、伏せているような目も、高くてきれいな曲線のお鼻も、厚くてかわいらしい唇も、大きい耳も、全部とってもとってもかわいらしくて、一方的ですが大好きです。 この投稿を見させていただいて 涙が出そうになりました。 「私が欲しいもの全部持ってても悩む人もいて、しに子さんもこんなに悩んでいたんだ」と、ただただ羨ましく思っていた自分が情けなかったです。 わたしも最大限大嫌いな自分が可愛くなれるように、しに子さんのように頑張りたいと思えました。